16年振りに五体不満足を読んでみた
こんばんは。人それぞれ今の自分に影響を与えてくれた人とか本とか経験などがあると思う。それが自分は何かなと考えてみると一つが小学校の時のオーストラリアでの生活、一つがサッカーというスポーツに出会ったこと、そしてもう一つが小学生の時に出会った一冊の本が挙げられます。
- 作者: 乙武洋匡
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1998/10/16
- メディア: 単行本
- 購入: 9人 クリック: 196回
- この商品を含むブログ (53件) を見る
- 作者: 乙武洋匡
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2012/09/28
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログを見る
乙武洋匡さんの五体不満足。売上を調べてみたら単行本、文庫本を合わせて580万部以上の大ベストセラー。黒柳徹子さんの「窓ぎわのトットちゃん」が1位で五体不満足がそれに続く2位、3位には養老孟司さんの「バカの壁」が続いています。今一番売れてる又吉さんの「火花」の売上が124万部と言われてる中で500万部売れたというのはスケールが違うなと思います。
理由は分からないけれど小さい時から障害者とか人と異なる特長を持った人に対して「かわいそうだねー。」みたいに言う人が大嫌いでした。言ってる本人は悪気がなく言ってたのかもしれないし、その子のことを思いやって言ってたのかもしれないけれど、自分の中ではそういう発言こそが差別だろと感じていました。友達とか家族とか親戚とか誰が言っても「この人とは価値観が違う」と思います。心の深い部分で分かり合うことはないんだと気づきます。
スポンサーリンク
当時はこの本を読んだことで自分の中にあった価値観がより強いものになっていったような気がします。障害とか病気とか国籍とかバックグラウンド関係なくその人自身を評価してあげようよという感覚。
小学生以来16年振りに読んでみようと思ったのはその自分自身の中で抱いてきた思いの確認と、それから16年生きてきて自分がどの部分に共感したり、引っかかりを感じるのかなということに興味があったからです。読んでみて感じたのは、子供の時感じていたことは思ってるほど変わらないということ。精神的に成長してないのだろうか。良い意味で純粋さがまだ残ってるのだろうか。まあどうでもいいけれど。
話を読んでいて思ったのは小学校〜大学までで乙武さんに関わってきた生徒、先生、家族の人間としての素晴らしさ。乙武さんを障害者として特別視するのではなく「一人の人間、乙武洋匡」として接しきた感じがすごく良いなと思いました。特に小学校のクラスメイトの接し方とか先生の接し方は似たような境遇を持つ人のお手本となるべき姿だなと思いました。
その一方感じたのが教育委員会とか学校や予備校が過去に前例がないという理由で受け入れを拒否した場面。もちろんバリアフリーの設備が整ってなかったり環境面での問題はあると思うけれど、逆に考えるとバリアフリーの設備が整っていれば障害者の人でも健常者の人でも同じ環境で生きてくことが可能なのではないか。障害者だから障害者で一つのグループに閉じ込めておくことがベストではないだろうということ。法律とか環境で区別してしまえば良いだろうみたいな考えはすごく嫌いです。皆んな同じ空間の中に入り、苦手なことがあったら得意な人が支えたりして共存し合うことを目指していくべきだなと思います。
この物語の最後の方に乙武さんが早稲田大の友人とアメリカ旅行に行く場面が出てくるけれど、そこでのアメリカの感じ(映画館やテーマパークで車椅子の人用の席やトイレがあったり、車椅子の人でもオシャレをしていたりする。)が良いなと思いました。今で言ったらLGBTの問題とかでも言えると思うけれど日本はアメリカや欧米から学ぶべき点は多いと思います。多様な人間が生きていることを認めるべきだし、生まれ持った障害や、国籍や、病気、心の問題などで差別される人が溢れてしまってはダメ。その為に必要なことを乙武さんは「慣れ」だと言っています。特に子供の頃の環境が大事だと。
子どもというのは、まだ障害者に対するバリアを持っていない。講演などで、子どもたちの前にボクが登場すると、どよめきが起こった後、シーンと静まり返る。しかし、30分ほど話をした後、子どもたちと一緒に給食を食べたり、簡単なゲームをしたりと触れ合っていくうちに「オトくん、オトくん」となついてくれ、帰る頃には「また来てね」などと、うれしいことを言ってくれる。
奇怪な姿に警戒はしたものの、「普通のお兄ちゃんだ」ということが分かり、心の壁を取り払ってくれたのだ、子供たちは、そういった意味で、たいへん柔軟だ、「障害者」「健常者」と勝手に線引きをするのは大人であって、子供たちの世界は言ってみれば「何でもアリ」なのだ。
今問題になってるいじめ問題も大体が「アイツは俺たちとここが違うから。」ということが原因だと思う。自分も中学の時に似たような被害を受けてきたから分かります。皆んなと違うことをする人が許せない人が日本には大人でも子どもでも多いのかなと思う。その裏側には自分にはできない羨ましさとか僻みみたいなものがあるんだろうと思う。カフェとか居酒屋で愚痴ってる人とか見るとストレス溜めてんだなと思う。
自分達の小学校時代の教室に「窓ぎわのトットちゃん」が置かれてたように、今の小学校の教室には「五体不満足」が置かれているのだろうか。この本は松下幸之助の「道をひらく」じゃないけれど普遍的に未来へ伝えていくべき作品だと思う。多様性を認める社会作りはとても素敵だと思うしそうなる為に自分にできることをやっていきたいし、同じような価値観を共有できる人や環境に出会いたいなと思いました。
ではでは。
スポンサーリンク
0コメント