facebookに「共感」ボタン導入。これからのソーシャルメディアのあり方は?

昨日流れてきたのがfacebookの新ボタン追加のニュース。これまでlike(いいね)ボタンだけだったのに対して、新しいボタンの導入が検討されているそうです。

 

確かにfacebookを使っていて、「この人のこの投稿、いいねではないんだよなぁ。」みたいに感じることはあったので新ボタン導入で変化を付けるのは全然ありだと思います。新ボタンが付くことに拒否反応を示す人もいると思うけれど、今回の試みでfacebookの存在価値がどう変わっていくのかは興味があります。

 


 

ザッカーバーグの詳しいコメントが紹介されています。コメントを読む限りは「dislike」とか「sorry(お気の毒に)」などのようにただ否定的な意味のボタンを追加する気ではないということみたいです。

 


“we didn’t want to just build a Dislike button because we don’t want to turn Facebook into a forum where people are voting up or down on people’s posts.”
「dislike」ボタンを付けるだけにはしたくない。(Facebookを)人々の投稿に対して良し悪しを決める場所にしたくないんだ。

 

そして気になったのが次のコメント。

 


" What they really want is to be able to express empathy.”
彼らが本当に求めていたのは「empathy(共感、情け、感情移入)」を表現することだ。

 facebookやTwitterなどのSNSを使っている時にどういう時が一番うれしさや喜びを感じるのかと言ったら自分の考えに賛同してもらえたり、同じ悩みを持っていたり、同じ趣味を持っていたり、共感し合えた時なのかなと思います。「自分だけじゃないんだ」と思えた時、心が満たされるのかなと思う。

 

人が何を食べたとか、どこに行ったとか、飲み会が楽しかったとか、一方的な幸せはどこか他人事に感じる面はあるのが本音だと思います。一方的ではなく相互的な、もっと心の奥の深い部分で共鳴し合えることを人々は求めているんだと思います。

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元陸上選手の為末大さんが著書の中でfacebookについて記述されていた内容がすごく腑に落ちるので紹介します。

 


フェイスブックに上げる情報は「見られていいもの」というより、むしろ「見てほしいもの」 である。楽しいこと、うれしかった経験、美しいもの、ためになる話、、、などであふれている。参加者は、いわゆる「リア充」である側面を強く出す。
 
そうなると世の中にはまるでリア充の人しかいないような錯覚をしてしまう。だが実際は、リア充なんて全人口の10%もいないだろう。
 
(中略)
 
かつて「あなたは、今幸せですか?」という問いに「そこそこ幸せです」と答えていた人たちの多くが「あの人たちに比べたら幸せじゃないかも」という気持ちにさせられているのではないかと思うのだ。
 
幸福感というのは相対的なもので、自分の状況に不満はなくても、より楽しく、より豊かに暮らしている人を見ると「自分はこの程度で満足していていいのだろうか」という気になる。
 
(中略)
 
だから、不満のはけ口としてツイッターに吐き出された言葉に本気で怒ったり、フェイスブック上の粉飾された他人の幸福に対して嫉妬したりするのは意味がない。

 

 



 

 ソーシャルメディアの発展で自分の思ったことが発信でき、世の中の人々の立ち位置がフラットになったことで一人ひとりの可能性が広がっていっている今の状況は、面倒な反面すごく面白いし、新しい時代になっているのだなと改めて思います。

 

今回の新ボタン追加によって、人々の生活がよりポジティブな方向に向くことを期待したいと思います。ではでは。

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