「好き」でも「嫌い」でもないもの~「無関心」という存在~
何だかふと思ったこと。
自分の頭の中に残しておくだけではなく、外へ出しておこうと思います。
人間は世の中の物事を、「好き」か「嫌い」の二元論で判断している生き物。
そう思いこんでいました。
けれど、これら「好き」、「嫌い」という判断を下せる対象となるものは、あくまで自分が興味・関心を抱いている物事に限っていることなんだなとふと感じたんですよね。
これは結構自分の中で盲点というか、ハッと気付かされたことです。
人は生きていく中で自分が感じた「好き」と思ったものを集めていき、「嫌い」と思ったものを捨てていきます。
人間関係でも、食べ物、ファッション、音楽、ライフスタイルなど何についても言えると思います。
けれど、これらの中には「好き」でも「嫌い」でもどっちでもないもの、いわゆる「無関心」という存在が潜んでいます。
この「無関心」という存在は「好き」と「嫌い」を足した総量を遥かに上回った膨大な量であることを見落としてしまいがちのような気がします。
人間関係でも趣味嗜好でも、自分が気になっている人やものに対して「好き」か「嫌い」の二元論だけで考えるのではなく、「無関心」という第三の存在があるということを理解しておくことは必要だと思うのです。
僕の考えでは「好き」と「嫌い」のフィルターに引っかかっている人や物事は今がどういう状態であるにしろ何とでもなると思うんです。
好きな人を嫌いになることだってあるし、その逆もまたしかりです。
けれど、「無関心」フイルターに引っかかっているもの、引っかかってしまったものに対してはどうしようもないなと思います。
これは本当にそうで、好き・嫌いを「有」のものとすると無関心は「無」の世界、存在していないのと変わらないからです。
人間関係で言うと、自分がいくら好き・関心を持って近づきたいと思った人でも、相手が自分の存在を「無関心」フィルターに引っ掛けた時点で自分の存在は相手から消されてしまうということです。
最近個人的にですが、とある知人女性からLINEで恋愛相談を受けました。
その中で議論に上がったのが「女性は男性を上書き保存していき、男性は女性を名前をつけて保存していく」という法則についてです。
これはどちらが良いとか悪いとかでもなくて男性脳・女性脳の影響もあるのだと思うけれど、上記の「好き」、「嫌い」、「無関心」の存在を踏まえて考えると面白いなと思います。
男性は女性と別れても別れた当初は「嫌い」フィルターに入れていたものが時間とともにいい思い出として「好き」フィルターに掛かっている人が多いと思います。
(これを「元カノを引きずっている男」という風に見る女性も多いですね。)
けれど、女性は男性を上書き保存していく生き物なので、新しい男性に出会うことで自動的に過去の男性は「無関心」フィルターに入れられることになります。
(皆が皆そうではないみたいですけれど。)
これを理解しておけば、男性が過去の女性のことを語る(悪く言うと引きずる)理由も女性が過去の男性を忘れる理由も腑に落ちる気がします。
(過去の男性の悪口を言うタイプの女性に対しては女子会にでも行かせて、発散してもらうのが賢明な対処かなと思います。。)
今回は男女の恋愛を引き合いに出してみたけれど、「好き」でも「嫌い」でもない「無関心」という生き物の存在を認識しておくことは、生きていく上でアタマに入れておこうと思うのでした。
ではでは。
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